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  ショートストーリー  【自転車は風に乗って】短編小説 

 

(三十七) (三十八)

(三十七)  自転車だけが知っている

黒い羽織を背負った昆虫は晩秋を迎えても気力、活力とも衰えずに籠の中で飛び跳ねている。飼い主の将司は家族の目を恐れ、籠を転々と移動させながら隠し場所を見つからないように苦慮している。その甲斐あってか、いまだ、家族にその存在は知られていない。息子の翔太はなんとなく感じているところはあるようだが、昆虫の正体は知らないはず。翔太の部活顧問で教頭の児島も将司と同じ昆虫を飼っているという。

蕎麦屋『長寿庵』で初対面の二人が、ぎこちなさがなくなって場がなごんできたころ、趣味の話になり、最近、興味をもっている関心事に流れが移行した。

「じつは・・・」

昆虫のことを言いだしたのは将司のほうである。

「えっ、そうなんですか。なにを隠そう私も」

児島の目がぱっと輝いた。

「昆虫って動物とはまた違った愛情が芽生えてくる」

中高年のあいだでこの昆虫が密かなブームになっていると児島はいう。

将司は知人から押し付けられて嫌々ながら飼い始めたので、愛情の領域にまでは達していない。それどころか、飼っていること自体、家族には内緒だし、持て余し気味というというのがホンネである。

「家族には昆虫を飼っていることを伏せているので、存在を知られないようにするのに一苦労ですよ」

「なるほどね」

二人は日本酒をちびりちびりと飲んでいる。翔太を含めた高校生の部活グループは食事をおえるとさっさと引き揚げたので店内は閑散としている。カウンターで将司の母親・君枝が店主夫婦と談笑している。 

「この際、家族にいっちゃったらどうですか」

児島は盃の酒をぐいと煽りながらいってきた。

「家族が知ったら、それこそ殺虫剤を振り掛けられるのは目にみえています。それでなくても、僕は家の中では立場が弱いので」

「翔太君も知らないんですか」

将司が頷いた。

「でも、彼はけっこう勘がいいので、案外、知っているんじゃないですかね。ただ、口にはしないだけで」

「そうなると、また、面倒だな」

将司がこう言うと児島はにやにやして悪戯っぽい目を向けてきた。ほとんど楽しんでいるという顔だ。

「ものは考えようですよ。家族の誰も知らない秘密をもっているなんてけっこうスリリングで、これまた面白いじゃないですか。内緒を楽しんじゃえばいいんですよ」

「といってもね・・・」

将司は昆虫を処分しようと虫のはいった籠を自転車で公園の植え込みまで運んだことがある。だが、結局、捨てるにすてられないで持ち帰った。

「いや、自転車だけが知っています」

「自転車が・・・」

児島は怪訝そうな目を将司に向けてきた。

二人は「私はもう、ちょっとここにいる」という君枝を『長寿庵』に残して、連れだって店をあとにして駅のほうに歩いた。


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(三十八)昆虫を飼い始めた動機

十一月も下旬になると夜の寒さが応える。風がつめたい。ライトを点滅させた自転車が何台も二人の影を追い越していく。将司はコートの襟をたて児島に声を掛けた。

「ちょっと飲み足りないですね。もう一軒、行きましょうか」

「いいですね」

児島は誘いにのってきたが、将司には行きつけの店などない。どこにしようかと目は迷っている。一応、地元でもあるし、誘いを掛けた手前もあることから訳知り顔をしたものの、足取りはおぼつかない。

「どこでもいいですよ」

児島が助け舟をだしてくれる。

「といっても、チェーン店じゃあね」

いっている途中で将司の記憶に引っ掛かってきた店があった。

「たしか、その先の通りを右にまがってちょっと行ったところに赤ちょうちんがあったはずだが」

さて、そこがまだ暖簾を出しているかどうか。いまや、駅前は居酒屋チェーン店に席巻されているので、撤退している可能性が高い。

「とりあえず、行ってみましょうか」

その店は存在していた。いまではとんと見掛けなくなくなった縄暖簾である。引き戸を開けると喧騒が迎えてくれ、カウンターやテーブル席のあちこちから煙草の煙が立ち上っている。油で黒ずんでいる壁はどことなく温もりがあり、やきとりを焼く煙が店内に白い幕をつくっていた。

「いや、いや。こういう店はいまでは貴重になりましたね。いつまでも残っていて欲しいものです」

児島は雑然とした雰囲気にちょっと感動を覚えた。U字型のカウンターと四人掛けのテーブル席。客の入りは八分といったところで、二人は空いているテーブル席に腰をおろす。

手書きの短冊メニューが壁に下がっている。

「なに、飲みますか」

「熱燗でしょう」

酒はすぐやってきてお互いに頬をゆるめながら軽く乾杯をした。

「ところで、児島先生は・・・」

「あの、先生というのはよしてください。児島でも、ニックネームのシマでもいいですから」

「じゃあ、児島さんにしましょう」

将司は笑いながらこういって、「蕎麦屋での話の続きだけど・・・」といって昆虫に話題を切り替えた。

「児島さんはなぜ昆虫を」

「うまく説明できないけど、勘かな」

「勘?」

「たまたま昆虫専門店に行ったとき、その虫をみて一瞬にして惹き付けられたんですよ」

児島が楽しそうに言う。

「将司さんは」

「知人で昆虫ビジネスを考えている変わり者がいまして、将来の食糧難を想定し、昆虫が人類を救うと大真面目に考えているんです。それで昆虫を勧められて、嫌々ながら飼っているというのが正直なところですね。その彼から共同経営しないかと。その気はまったくありませんがね」

「ビジネスですか。こりゃまた壮大なスケールで」

児島ビジネスは酔いの染まった顔をくしゃくしゃにして笑った。

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