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  ショートストーリー  【自転車は風に乗って】短編小説 

 

(二十八)(二十九)(三十)

(二十八)昆虫ビジネスを立ち上げる

今朝の献立は輪切りにしたキュウリとバナナの皮である。キュウリは皮の青い部分が隠れるほどマヨネーズをかけてある。餌に群がる昆虫をしばらく眺めていると、なぜか、むくむくと苛立ちが芽生えてきた。

将司はいまいましそうに呟く。

「おまえら、なに考えてんだ」

もちろん、彼らからの反応はない。虫かごを揺り動かすと、昆虫はパニックに陥ったように飛び跳ねるが、しばらくすると、何事もなかったかのように餌に寄ってくる。図太いというか、無神経なところが気持ちをいらつかせるのだ。将司は虫かごを無理やり押し付けてきた酒井と目の前の昆虫を重ね合せていた。

酒井とは以前の職場で机を並べていた。だた、それだけである。個人的な付き合いは一切、なかった。将司が辞める前に酒井はその職場を去っている。それがどうしたわけか、突然、酒井から連絡があって、ひさしぶりに会ったら虫かごを携えていた。

「昆虫ビジネスの会社を立ち上げる」

鼻の穴を膨らませてそういうのである。酒井には山師的なところがあった。昆虫ビジネスの共同パートナーにならないかとの誘いを掛けてきたが、あまりにも荒唐無稽な話に将司は笑ってしまった。

「昆虫を滋養強壮の食用として普及させると夢みたいなことをいっているけど、かりに、商品化したとしても売れるはずがないだろう。いくらなんでも共同パートナーにはなれないよ」

酒井は断れることは想定済みといわんばかりの不敵な笑みをみせた。

「とりあえず、この昆虫をちょっとのあいだでいいから預かってよ」

ここで、頑として断っていれば虫かごを自宅にもってくるようなことにはならなかっただろうが、酒井は将司の足元をみていた。海千山千の中で生きてきた酒井は話術も巧みで、断れられないようにやんわりと詰めていく。将司はいつの間にか虫かごを持たせられていた。

酒井とはその後、一度だけ電話で話し、会うことになった。

「昆虫、元気で育っているかい。僕の言う通りに飼っているんだろうね。愛情を持って育ててくれよ。なにしろ、お宝なんだからね」

「昆虫ビジネスかなんだか知らないけれど、いい加減にしてくれよ」

酒井は受話器の向こうで乾いた笑い声を発している。

「家族はなんていってる?」

いうもなにも、一切、打ち明けていない。

「まだ、内緒にしている。昆虫をみたら気絶してしまうだろうからな」

「家族の理解を得るために僕から説明しようか」

そんなことをしたら、話がますます複雑になってくる。

「それより、この昆虫を引き取ってくれないかな。正直、迷惑なんだよね」

将司がこういうと酒井はちょっと黙り込んでから

「まあ、電話ではなんだから近々、会おうよ」

そっけなくいってきた。

待ち合わせに指定されたのはいまではとんと見掛けなくなった「純喫茶」である。将司は虫かごを風呂敷で覆い、人目につかないように紙袋に入れてきた。時間になっても酒井の姿がみえなかったので携帯に連絡をいれると「渋滞でクルマが遅れちゃって。もうすぐ付くからしばらく待ってよ」といってきた。はて、酒井はクルマを運転するのか。たしか、免許はもっていないはずだが。タクシーでやってくるのだろうか。嫌な予感がむらむらと立ち昇ってくる。

コーヒーを追加注文したところで、酒井が自動ドアの向こうから見知らぬ男を連れて賑やかにやってきた。

「や、お待たせ」

テーブルにやってきた酒井は頬をぴくぴく震わせながら上機嫌だった。どことなく顔つき、物腰が昆虫に似てきた。

「あ、紹介するよ。この人、昆虫ビジネスの共同パートナーになった大学の先生」

「よろしく、あなたのお話は酒井さんからうかがっていますよ」

にたりと笑った顔は爬虫類である。

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(二十九)母親は電動アシストに買え替え

「翔ちゃん、お母さんのほうも磨いておいてよ」

翔太が自分の自転車を手入れしていると、母親の奈美が買い物袋を携えて自転車で帰ってきた。

「自分でやれば・・」

「また、そんなこといっている」

顔は笑っている。

「この自転車、どのぐらい乗っているかしらね」

奈美がぽつんと言った。

自宅には翔太と奈美の自転車が二台。翔太は通学に雨の日を除いて毎日、使っているが、奈美は気の向いたときに利用している。

「もう十年選手じゃない」

「いや、それ以上よ。翔ちゃんが小学校に入る前だったから」

翔太には母親の自転車がいつ自宅にやってきたのかはっきりと覚えていない。

「でも、まだまだ乗れるよ」

近いうちに電動アシストが届くことになっている。買え替えるのだ。

「新しい自転車だと坂道なんかはずっとラクになるわね」

たしかに、電動アシストだとペダルを漕ぐのが軽いので足の負担は軽減される。いまや、自転車の主流になっている。

「まあ、新しい自転車をせいぜい利用してよ」

奈美は春と秋には自宅から最寄り駅まで自転車を使っている。駅に隣接している駐輪場に置いて、それから電車で職場に向かう。

「翔ちゃんも電動アシストに乗ってもいいわよ」

もちろん、試乗させてもらうが、翔太は祖母から贈られたいまの自転車に満足しているので、通学に使うことはないだろう。

「秋は自転車日和よね」

奈美が誰にいうともなく呟いた。

「電動アシストが届いたらさ、お母さん、さやちゃんと一緒に公園にいってお弁当を食べようっと」

翔太の妹・さやかと奈美は年齢の離れた姉妹みたいに気心が合う。

「どうぞ、お好きなように」

秋は自転車がもっとも輝いているときかも知れない。郊外にサイクリングするのもよし、買い物や通勤、通学などにも足として使う機会も増える。翔太もその一人。図書館や友人に会うときもごく自然に自転車を利用している。

先日はサークル誌『不思議倶楽部』の取材で遠方まで自転車で出掛けた。不思議なもので、自転車に乗っていると、バスや電車とは違って、目線に拡がりがでてきていろんなものが複合的にとらえられてくる。早朝、車輪を走らせていると小鳥のさえずりが背中を押してくれるし、日中なら建設中のマンションがひと頃に比べて増えていることに気づく。経済が活力を取り戻したかどうかは知らないけれど、空き店舗だったところに新しい飲食店の暖簾が掛かっていたりして、ちょっとした発見があった。

「あ、そうそう」

奈美が思い出したように言う。

「お蕎麦屋さんのご主人から、翔ちゃん、部活、頑張っているみたいだねといわれたわよ。駅前で声を掛けられてね。『不思議倶楽部』を愛読しているみたいで、翔ちゃんのことを期待していたよ」

蕎麦屋「長寿庵」店主の昭二は翔太の父親、将司の友達だった。家族同士の付き合いというか、蕎麦といえばこの店だし、店主にしても翔太のことを幼いころから知っている。翔太はいまでこそ回数は減ったが、小学生のころはよく父親に連れられて暖簾をくぐった。

「この間、図書館でばったりおじさんに会ったら、翔太、おまえ、似合わないところにきてるんだなって笑われた。僕が図書館に行くなんてことは思ってもみなかったんだろうね。部活にはいってから少し変わってきたなともいってたよ」

出来が悪いといわれる息子であっても他人から褒められて嬉しくない母親はいない。

「そうよね、翔ちゃん、『不思議倶楽部』に参加してから、なんだか生き生きとしてるもの。おじさんの話を聞いて、お母さん、ちょっと感激しちゃった」

そういって奈美が息子の顔を覗き込んできた。

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(三十)部活を代表して全国大会でスピーチ 

「翔太、放課後、部室にくるように」

駐輪場でサークル誌『不思議倶楽部』顧問で教頭の児島先生に声を掛けられた。二人とも自転車で通っている。

「えっ、きょうですか」

これといった予定はないけれど・・・。

「都合が悪いか」

こういうときの児島先生は押しが強い。有無を言わせないところがある。

「いや、行きます」

「みんなに話があるから」

緊急の編集会議でもあるのだろうか。部長の広瀬と副部長の麻美とはよく顔を合わせているが、ほかの部員とは久しぶりに会う。

部室に行くと翔太が一番あとだった。テーブルの周りに見知った顔が並んでいる。広瀬は『不思議倶楽部』のバックナンバーを棚から引き抜いていた。麻美は鼻歌を口ずさみながら空になったペットボトルを指先で器用にくるくる回している。

児島先生は茶封筒を抱えてやってきた。髪が頭全体に行き渡っていることから来る前に手入れを施したのだろう。テーブルに着くと、茶封筒から印刷物を取り出してそれぞれの部員の前に差し出す。冒頭に大きなロゴで「高校生サークル誌・紙全国大会」とある。参加することは聞いていたので、部員たちにさほどの驚きはなかった。大方、概要の説明だろうと翔太は印刷物にちらりと目を向ける。

「きょう、集まってもらったのは手元にある資料をみてもらえれば分かるけれど、『不思議倶楽部』が全国大会にエントリーすることについてです」

創刊以来、初めての試みだけに児島教頭も気合がはいっている。新聞部では過去に何度か参加。「奨励賞」などを受賞した実績がある。同じ部活でもあちらは気位が高いのでサークル誌は眼中にない。『不思議倶楽部』が先にエントリーしたため新聞部は今回、参加を見送った。

「今年は全国32校が参加します。それぞれ伝統のあるところばかりなのでいい勉強になると思う。資料の中にも記されているように、部活の活動とサークル誌の編集方針などをスピーチしなければなりません」

翔太はぼんやりと児島先生の話を聞いていた。

「それを誰にやってもらうか」

児島先生は部員の顔をさっと見渡した。部長の広瀬しかいないだろう。翔太はそう思っていた。

「翔太にやってもらおうと考えている」

児島先生がこういったとき、小さな溜息がさざ波のように広がった。

「えっ、彼、まだ新入部員じゃん」

戸惑いの顔にそう書いてある。

児島先生に代わって広瀬が補足した。

「数日前に顧問から相談を受けたとき、スピーチするのは僕や麻美クンじゃなくて、翔太がいいのではないだろうかと提案しました」

ざわざわとさした波紋が拡がっていく。

広瀬が続ける。

「たしかに、翔太はまだ一年生。サークル誌のなんたるやも理解していないところがある。けれど、それでもいいのではないかと。正直なことをいえば、翔太が部活にはいったときは、大丈夫かと思った。それが、化けた。けっこう、いいセンスをもっている。おそらく他の高校では部長がスピーチを務めるだろう。しかし、まだ駆け出しの一年生の視点でとらえたサークル誌の現状と今後のあり方という話も面白いのではないかと。それで、麻美クンと相談して翔太を推薦しました」

翔太にとってはまさに青天の霹靂である。勝手に決めるなよと声をあげて言いたかった。




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