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  ショートストーリー  【自転車は風に乗って】短編小説 

 

(二十三)(二十四)

(二十三話)

児島教頭は広瀬にカラオケ店で目撃されていたことを知らなかった。教頭がカラオケ店に通い初めてかれこれ二年になる。いまでは居心地のいい隠れ家といった感じで、抵抗なく入店している。なぜ、カラオケなのか?どうして一人なのか?と訊ねられてもどう答えていいのか。おそらく説明しても誰も分かっちゃくれないだろう。だったら黙っていればいい。敢えて人に話す必要はないと教頭は考えている。一人ボックスに立ち寄るのは歌うことが目的ではないのだ。

夏休みとあって午後二時過ぎに学校をあとにした児島教頭は気持ちが萎んでしまうような用件をすませ、そのあと書店で新刊の小説を二冊購入して自転車でいつものカラオケ店に向かった。すでに顔馴染になっているアルバイトの若い店員から「この時間帯は空いていますから、タイムサービスします」といわれ、ちょっと嬉しくなった。

カラオケボックスは日常を遮断してくれるので、教頭にとって唯一、落ち着ける場所でもある。混んでくる午後八時以降だと隣の部屋から薄い壁を隔てて曲と一緒にどんどんという地響きに似た雑音が聞こえてくるが、この時間帯、隣室はしん静まり返っていた。

おしぼりで襟首を拭う。エアコンがうねりをあげていろんな匂いの混じった冷風を送ってくる。児島教頭はテーブルの中央に置いてあるマイクと歌詞カードを隅に押しやり、リュックからファイルに収まった書類を取り出した。生徒の個人情報が記されている原本の写しである。持ち出しは禁止されていたが、きょうに限っては容認されてもいいだろう。生徒のひとりが家電量販店で万引きをして補導されたので警察に寄ってきたのだ。万引き、飲酒、喫煙・・・。夏休みに生徒が警察のやっかいになることはそう珍しいことではない。教頭という立場上、生徒が引き起こすトラブルを一手に引き受けていく。もう、慣れっこになってしまったとはいえ、なんで、こんなことまでしなければならないのか。教頭は雑用係りといってもいい。若い教員が管理職になりたくないという気持ちも分かる。

児島教頭は警察の担当者からいわれたことを頭の端に追いやると、教頭はリュックから分厚い茶封筒を取り出した。その中にはサークル誌『不思議倶楽部』の秋季号の資料がはいっている。顧問であることから折にふれて目を通す。秋季号の台割、どの部員がなにを担当するかが細かく記され、所々に手書きの挿入箇所があり、それをみていると部長の広瀬と副部長の麻美の顔が浮かび、やがて翔太が現れた。

高校生のサークル誌、紙に照準を当てた全国大会は十一月である。今年初めて『不思議倶楽部』はその大会にエントリーすることになった。まだ、部員には知らせていないが、来週になったら広瀬と麻美に経緯を説明しようと考えている。この大会には二十九校が参加。活動状況や、編集方針などをスピーチする。それを誰にさせるか。教頭の胸の内ではすでに決まっていた。翔太である。広瀬も麻美も人選に納得してくれるだろうと読んでいる。

児島教頭はマイクに見抜きもしなかった。歌が目的ではなく、隠れ場所として利用している客も少なからずいる。児島教頭はドリンクひとつ注文しないので費用は場所代だけである。

カラオケ店をでると通りにはネオンがついていた。陽が暮れても依然として暑い。店の軒先に駐輪していた自転車にまたがった児島教頭は何事もなかったようにペダルを漕いだ。向かう先はスーパー。外食はほとんどしないので基本、自炊である。今晩はなんにしようか、明日朝の献立、昼のお弁当のおかずなどが念頭にあったが、それとは別に、もうひとつ、最近、飼い始めた昆虫の食事のことも忘れてはいなかった。姿形からとかく敬遠されがちな昆虫だけれど、飼ってみるとけっこう面白いのである。



(二十四話)


その昆虫をじつは翔太の父親・将司も家族に内緒で飼うことになった。以前、勤めていた会社で同僚だった酒井の勧めだった。二人は在職中からなにかとウマが合い、互いに職場を去ってからも時々、思い出したように連絡をとり合って居酒屋で情報交換している。酒井は現在、殺虫剤メーカーで嘱託として働いている。仕事柄、昆虫や害虫などに詳しくなり、「虫から抽出したエキスは滋養強壮の効果がありそれを混合した清涼飲料水を売り出したい。タイアップしてくれるスポンサーがみつかれば、いますぐにでも勤務先を退社して独立したい」と将司に熱っぽく話すのだった。

果たして、その昆虫を粉末にしたものに滋養強壮の成分があるのか。たしかに見た目、口に含んだら苦い感じはする。その苦味が滋養強壮と結びつくのか。研究分析は出来ているのか。疑問だらけで訊きたいことはたくさんあったけれど、それらを質問していたったら、酒井は得意満面で延々と話し込んでくるだろう。そういう展開になるのが予測できたので、余計なことは一切、口にしないほうが得策と判断した将司は「ええっ、そうなの、なるほどね」とどうとでも受け取れるような言葉を慎重に選んで話す。

もともと、酒井には山師的なところがあり、話は気宇壮大に拡がっていく。「世界的な食糧難の時代はすぐそこまでやってきていている。これからは昆虫・害虫ビジネスが脚光を浴びる。その先手を打って事業を興したい」と喋りまくるのだった。将司は眉に唾をつけて聞いている。酒井は将司を共同経営者として迎えたいようだが、優柔不断のかつての同僚もさすがにこの話には乗るわけにはいかないので、話の接ぎ穂に「僕には荷が重いので」とやんわりと断りをいれていく。酒井は将司の性格を知っていて「そういわずに考えみてよ」となかなか諦めてくれない。「いま勤めているスーパーは時給のパートだろう。仕事がきついうえに給与は安い。それじゃ割に合わないだろう。辞めちゃえよ」といったあと、陥落するようでなかなか落ちない難攻不落の将司に次の手を打ってくる。「じゃあ、昆虫をしばらく飼ってみてよ。そうすれば情が沸くから。その上でまた話そうじゃないか」というのだ。有無を言わせぬ強引さがあった。

将司は難色を示したが、後日、居酒屋で会ったときには酒井は顔に満面な笑みを浮かべて手に虫かごをぶら下げていた。風呂敷に包んであるので中はみえないが、布を通して生き物の微かな息遣いが聞こえてくる。その風呂敷包みを無理やり手渡され「ここで開けるわけにはいかないので、家に帰ってから拡げて」といった。感触から虫かごは竹ひごで出来たものではなく、目の細かい金網製のものであることが分かる。その虫かごを床に置いて将司は酒井と飲んだ。

風呂敷包みを解いたのは自宅の最寄り駅のトイレの中である。便座に座ってゆるゆると結び目をほどいていくと、金属かごの中に黒い背をみせた艶のある昆虫が複数へばりついていた。人間の皮膚に黒い斑点ができているようにみえて気持ちが悪い。金属かごを揺らすと、昆虫はパニックに陥ったように飛び跳ねる。かごには飼い方を記したメモが貼り付けてあり餌や水の配分などが書かれている。昆虫の動転した様子を目にしながらそのうち処分すればいいと将司は判断し、トイレを出てから駅のまだ開いている売店で紙袋を購入して、その中に風呂敷包みを押し込んで自宅に向かった。

その昆虫は一般ウケはしない。嫌われることはあっても歓迎されことはないだろう。家族に話せば猛反対されることは目に見えている。となると、保管場所は家族の目の届かないところがいい。とりあえず庭先の収納ボックスにしようと将司は決めた。そこには日曜大工用品などがはいっていて、ふだんはまず開けることがない。軒先にある翔太の自転車の先にある収納ボックスに虫かごのはいっている紙袋をいれると、なにごともなかったように将司は玄関のドアを開けた。

「ただいまー」

居間にいた家族は、といっても妻と娘の二人だけれど将司のほうにちらりと目を向けたが、言葉を投げてこようとはしない。将司の存在はこの女性たちのあいだでは希薄なのである。息子の翔太は父親寄りでけっこう話し掛けてするが、その息子は部活が忙しくてまだ帰ってきていなかった。

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