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  ショートストーリー  【自転車は風に乗って】短編小説 

 

37話 38話 

第三十七話 「師走のサイクリングロードを走る」  

電車を乗り継いて二時間ほどいったところにあるサイクリングロードは近郊の自転車愛好者たちで賑わっています。河川敷の全長およそ二十キロ。恵さんは久しぶりにこの道を走ろうとやってきました。最寄りの駅前でパーツをいれた収納バックを開けて自転車を組み立て、いざ出陣。同輩たちが何人もいて、互いによろしくと目で挨拶を交わすと、さっそうと飛び出していきます。自転車はロードバイクやクロスバイクが多く、恵さんが乗っているママチャリでもなく、かといって、クロスバイクでもないどっちつかずのファジーな自転車はあまり見掛けません。父親と一緒にやってきた子供も体型に見合った高速自転車です。

紅葉が過ぎ、師走の足音が聞こえるこの時期、恵さんは嫌いではありません。顔に当たる風が凛としていて、ペダルを漕いでいるうちに寒さも忘れて体がぽかぽかと暖まってくる。あちらこちらで群生しているススキの冬支度を楽しみながら走るのもまた魅力があります。少し前まで係留してあったモーターボートや、カヌーは見掛けません。釣り用の小船が忘れられたかのように川面に浮いています。

ロードにはいると、後ろから自転車がびゅんびゅん追い越していきました。お先にと、手をあげて声を掛けられると、ちょっと嬉しい。恵さんはちんたら走っていく。別に急ぐことはないので、気が向いたら自転車を停め、河川敷に腰をおろして対岸に並んでいる高層マンションを眺めたり、遠くで橋のうえを音もなく通り過ぎる電車にぼんやりと目を向けています。目線の先に合羽を着こんで投げ釣りをしている人がいました。この時期、なにが釣れるのでしょう。じっとしていると乾いた空気が肌に食い込んできます。足元に黄色いゴルフボールが転がっていました。

さて、もう少しいってみよう。サイクリングロードはどこからでも乗り入れることができ、また、自由に抜けられる。このへんも気に入っています。もうひとつの楽しみは少し先にある河川敷の茶店に立ち寄ることでした。ここの名物はおでん。これがめっぽううまい。冷えた体にあつあつの濃い目のおでんを口にするだけで幸せな気分になります。茶店を仕切っているのはみんなから「おばちゃん」と呼ばれている女性で、年のころは70過ぎ。てきぱきとした振る舞いはみていても気持ちがよく、サイクリングロードのもうひとつの顔になっています。恵さんがそこに到着すると、すでに複数の自転車が駐輪してあって、おでんの香ばしい匂いが外に流れていました。店内はテーブル席が4つ。仕切り板の奥でアルミの大鍋からおでんの湯気が立ち上っています。お腹がグーと鳴り、急に空腹を覚えました。

恵さんのお気に入りは大根とはんぺん。小皿に盛られたらそれらをはふはふいいながら食べる。洋辛子がつんと鼻にくるのもいい。ここには炭酸飲料水なども置いてありますが、恵さんはあったかいお茶にしました。おでんのほかにもうひとつ、焼きそばも人気があります。キャベツともやしに、青のり、紅ショウガを添えた昔風の素朴なソース味ですが、これもなかなかのもの。ほとんどの人がおでんと焼きそばをセットで食べています。おばちゃんのにこにこした顔が食欲を後押ししてくれるのでしょう。おでんの汁をすすっていると、声を掛けられました。「ひさしぶりじゃない」。覚えていてくれたんだ。「ええ、この季節にロードを走るのが好きなもので」というと、「自転車好きはみんなそういうわね」。おばちゃんは笑うと鼻に皺が寄ります。「あなたの自転車もいい味をだしてきたわよ。丁寧に、優しく乗っているのがわかりますよ」。思わず、ピンと背筋を伸ばしてしまいました。「ありがとうございます」。

(次週に続く)

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第三十八話 「自転車での遠出は春先までお預け」   

河川敷のサイクリングロードで楽しんだ帰り、恵さんは自宅の最寄り駅のひとつ手間の駅で降りました。銭湯にはいるためです。いまでは銭湯を探すのが一苦労。時代の流れとはいえ、減少の一途を辿り、銭湯巡りが趣味である恵さんにとっては悲しい現実です。いつまでも存続してほしいと願ってやみません。広々とした浴槽に浸かる充足感を多くの人たちに体感してもらいたい。

恵さんは自転車を銭湯の空き地に止め、シャンプー、石鹸、タオルのはいった銭湯七つ道具の手提げを抱え、暖簾をだして間もない下足に靴をいれました。番台を通り過ぎようとしたところ、「おや、いらっしゃい。元気にしてた」と店主が気さくに声を掛けてきました。「まあ、ほどほどに」。恵さんがそういうと「そりゃ、なによりだね」と顔を綻ばせます。その声がやたら響く。脱衣室には恵さんのほかにもうひとりいるだけです。服を脱いでいるとき、店主が正面に据えてあるテレビ画面から目を逸らして「どっかの帰り」というので「サイクリングロードでひと走りしてきた」と答えると、思い出したように「あっ、そう、そう。自転車が趣味だったんだよね」といってきました。「この季節、寒くなってきたので自転車を乗り回していれば体も冷えてくるからね。湯に浸かって疲れをとるのが一番」。こういって、店主はまた目線をテレビのほうに向けます。人気番組『笑点』をやっていました。

体重計に乗ると00キロ。サイクリングロードで軽く汗を流してきた割に体重はちっとも減っていません。最近、胴回りが気になってきます。食べ物のせいなのか、それとも年齢からきているものなのか。メタボ症候群になる前になんとか食い止めないと。体重を測るたびにそう思っているのですが・・・。浴室には数えるほどしかいません。それも年輩ばかり。恵さんの幼い頃は、それこそ子供たちで賑わい、はしゃぎすぎで大人からたしなめられたものです。それが、いまや、浴室の客は疎らで静まり返り、風呂桶をひっくり返す音が妙に大きく聞こえてきます。掛け湯をしてから浴槽にざぶんと浸かる。少し熱めですが、体が慣れてくると、それがなんとも心地いい。はあっと、溜息をついてしまいます。極楽、ごくらくとはよくいったものですね。

ペダルを漕ぎ過ぎたのか、足の腿のところに鈍い痛みが横たわっていました。手のひらでそこのところを揉んでいく。湯が鈍痛を和らげてくれます。足の先から頭頂まで温かさがまんべんなく伝わると、額に玉のような汗が噴き出してきて、それをほってた手で何度もぬぐいました。リラックスしているせいか、今年の出来事が押し寄せる波のように打ちつけては引いていく。仕事で顔から火が噴きだすような基本的なミスをやらかしたこともあれば、逆に、思いもよらない成果を生んだこともありました。そして、なによりもの収穫は人との出会いです。あんな顔、こんな顔が浮かんできて、浴槽のなかでほころんでしまいました。人はひとりでは生きられません。多くの人たちに支えられて生活しているのです。

浴室を出て脱衣室に戻ると、店主が「来年はいいことあるといいね」と呟きました。一年後の今頃はなにをしているのだろう。そんなことを考えていると、傍から、なるようにしかならないじゃないかと身もふたもない声が聞こえてきて、なんだかおかしくなってきました。

銭湯からぬくもりを貰って、家に戻ると猫の小太郎が飛びついてきました。クンクンと匂いを嗅いでいます。恵さんが銭湯に立ち寄ってきたことを感じているようです。自転車を駐輪場所の定位置に停め、恵さんは「お疲れさん。楽しい思い出をありがとう」といっていたわるようにシートを被せました。日を改めてぴっかぴかに磨いてあげたい。自転車での遠出は来春までお預けです。

(来春に続く)

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