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  ショートストーリー  【自転車は風に乗って】短編小説 

 

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第三十三話 「カズヤ君が会社を辞めたらしい」  

転機を迎えたもう一人にカズヤ君がいました。会社を辞めてしまったみたいなんです。今年4月の入社だからわずか半年しか勤めていません。どうして、なんで?というのが率直な感想。就職難のこのご時世にせっかく大手家電メーカーに潜り込めたのに見切るのが早すぎやしないか。いまのワカモノはという言い方はしたくないけれど、もう少し踏ん張ってもよかったのではないか。会社なんて楽しいことより、辛いことのほうが多い。嫌な仕事もある。根が真面目なタイプであればあるだけ、理想と現実のギャップに悩む。だけど、そうした矛盾を抱えながら粛々と仕事をこなしていくうちに、追い風が吹いてくる。そうして仕事の面白さを見出していく。それが実績を積むことに繋がる。

と、分かったようなことをいいましたが、こうしたことが数多の経営本の中で触れられています。それにしても、カズヤ君、どうしちゃったんだろう。

じつは、恵さんも転職組です。学校を出て最初に入社したのは旅行会社でした。当時、学生の人気企業ランキングではベスト10にはいっていたので、ダメモトで応募してみたら、あれよ、あれよという間に最終面接にまで進んでいて、めでたく採用になりました。あのときは天にも昇るような心地がして、嬉しかったですね。配属されたのは支店の営業所。カウンター業務で朝から夕方まで笑顔を振りまいてお客さんにチケットを販売する仕事です。希望は本社で旅行プランを立てる業務だったのですが、新入社員は誰もが経験することなので仕方ありません。支店とはいえ100人を超える社員がいました。それだけに、派閥があって半年もしないうちに人間関係の複雑さを実感するようになり、ほとほと疲れてしまいました。それでも5年間、勤めましたね。

仕事ですか?ずっとカウンター業務です。退職を決意したのは体調を崩したことでした。朝、会社に行くと思うと身体が震えて止らなくなったんです。20代の後半に差し掛かるころでした。辞表を提出したときの直属の上司の嬉しそうな顔をいまでも覚えていますよ。

現在の会社は新聞の求人欄をみて応募しました。以来、勤務先が変わることなく現在までいまの職場で働いています。といって、自分に適した会社なのか、いまの仕事に生きがいを見出せるかといわれたら返答に詰まってしましますが、辞めたいと思ったことはありません。ストレスもあまり感じないし、仕事は面白いという領域には達していませんが、そこそこの充足感はあります。ですから、ほどほどに適合していているんでしょうね。このままでいいのだろうか、流されているなという自覚はありますけれど、もう、なるようにしかなりません。

恵さんは地下鉄のホームで偶然、カズヤ君に会ったときのことに思いを巡らしました。生彩がないというか、フミさんのところで自転車に触れているときの輝いているカズヤ君とは別人のようにみえたのです。あれからカズヤ君には会っていません。携帯やメールもこないので気にはなっていたのですが・・・。仕事を覚えることに忙しいのだろと恵さんは連絡することを控えていました。

(次週に続く)

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第三十四話 「自転車屋さんで退職祝い」   

「あのさ、こない」。携帯に自転車屋さんのフミさんからです。また、飲み会の誘いだろうか。車輪やパーツを囲まれて、自転車談義をするのもいいけれど、この季節は快適なので自転車で遠出を楽しみたい。パーツをばらばらにして移動用バッグにいれて電車に乗る。二時間ほど行ったところに山間のサイクリングロードがあります。そこを走ろうと計画していました。会社勤めをしていると休日のプライベイト・タイムはとても貴重なんです。

「忙しくて、時間が取れそうもないんだよね」。こんなセリフは見え透いているけど、一応、断りの文言を口にしてみましたが、一笑に付されました。「なに、バカなこといってるの。忙しいということがメグちゃんほど似合わない人はいないよ。あはは」。いちいち反論してみても無駄なことは分かっているけれど、それでも言うときのはきちんと伝えておかないと、フミさんのペースに巻き込まれてしまう。「いま、ちょっとだけ仕事が立て込んでいてさ」と念を押す。「ふーん、そうなの。それじゃ仕方ないな」。フミさんが手の平を返したような淡泊な言い方をしてきました。「ま、無理にとはいわないけどさ。カズヤのことでちょっとな」。恵さんは彼のことがずっと気になっていました。「聞いてる?」「なんのこと」「会社、辞めたってことさ」「ええ、そうなの。ほんとに」。

カズヤ君のことはサトミさんからの連絡で知りました。彼女はフミさんのところに頻繁に顔を出し、カズヤ君とも親しい。恵さんは心に引っ掛かっていることがありました。なぜ、彼女にだけ連絡をいれて、自分にはなしのつぶてなのかと。彼のことを理解していたつもりなのに、なんだかノケモノにされたような疎外感があって気持ちがざわめいていたのです。カズヤ君に会ったら、水臭いじゃないかといってやりたいのですが、かといって、それを口に出すようなことはしません。これも、大人社会を円滑にやっていくうえでの処世術のひとつなんでしょうね。「いつ、辞めたの」。あくまでも知らないふりをしました。「なんだか最近みたいだな」。フミさんにとっては会社を辞める、辞めないはさほど関心がありません。勤め人にとって退職することは一大事なのに、彼にとってはそれほど重要なことではないのです。

「でさ、カズヤの退職祝いをやろうかなと思っているのよ」「そうなんだ」。時間が取れないといった手前、さすがに「だったら、行きますよ」と態度を豹変するのは見苦しかったけれど、「なんとか都合して調整します」といってしまいました。フミさんは人の心を読むセンサーが敏感です。くすくすと忍び笑いをして「カズヤと聞いた途端にこれだからな」といってきたので、恵さんは恥ずかしかった。「でさ、今週の土曜日なんだけど、無理しなくてもいいよ」「相変わらず、性格悪いよね」。恵さんはしらっとして言いました。「カズヤ君、元気にしてるのかな」「え、心配してんの」「ちょっとだけ」「ふーん、そうなんだ。メグちゃんてけっこう優しいところがあるからな」。面識のある人間が転機を迎えたら、関心を寄せるのは当然でしょう。「心配いらないよ。元気、元気。若いっていいね」。フミさんはそういって通話を切りました。

(次週に続く)

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第三十五話  「会社 を辞めたワケ」   

フミさんとの携帯でやり取りをしたあと、恵さんの気持ちが落ち着きません。猫の小太郎が足元でじゃれついてきても遊んでやれない。部屋の中でウロウロしながら挙動不審な振る舞いをみせています。カズヤ君の携帯に連絡をいれるかどうか。恵さんは迷っていました。聞きたいことが次から次に浮かんできます。

はやる思いには勝てません。携帯に連絡をいれることにしました。「どう、元気にしてる」。当たり障りのない話題をだして様子を窺います。「元気ですよ。そろそろメグさんから連絡があるんじゃないかと」。けっこう気にしてくれているのである。「もう聞いていると思いますが、会社を辞めちゃいました」。ちょっとおどけた言い方をしてきました。「うん、知ってるよ」「フミさんから聞いたんですか」といってきなので「サトミさんから連絡があって知ったよ。そのあと、フミさんからも聞いた」。恵さんがこう言うと、カズヤ君はほっとしたように溜息が受話器を通じて伝わってきました。なぜ、退職しなのか。恵さんはそれを聞きたかった。「会えない」。誘いを掛けると「いいですよ。時間はあるのでいつでも」といってきたので、間髪入れずに「明日なんてどう?」。恵さんも押しが強い。

午後7時。待ち合わせ場所はターミナル駅の近くにある喫茶店です。すでに、カズヤ君は到着していて窓際のテーブルで本を拡げていました。Gパンにスニーカー、白地のシャツに紺のジャケットを羽織っています。なかなかセンスがいい。恵さんが声を掛けると、単行本から目を離して「久しぶりです」といって椅子から立ち上がろうとしました。「ほんとだね。地下鉄のホームで偶然、会って以来だよね」。恵さんが努めて自然にいいます。「あ、そうでしたっけ」。

喫茶店は帰宅途中の勤め人などで込みあっています。声をやや大きくしないと聞き取りにくい。「また、どうして会社を辞めたの」。恵さんがこういうと隣のテーブルにいたカップルが好奇の目を向けてきました。「ごめん。もう、少し小さな声で話すから」というと、カズヤ君は「いいっすよ。そんなこと」と手をひらひらさせてきます。「せっかく大企業のいいところに入ったのに、もったいないな」「まあ、いろいろと自分なりに思うところがあって」。カズヤ君の性格から、いっときの感情に振り回されて退職したのではないことは分かるけれど、「それにしても、もう少し辛抱してもよかったんじゃないの」というと、彼はくすっと笑いました。「会社の先輩にもそういわれました。辞めるのはいつでもできるからって」。顔に意志の強さが浮かんでいます。「誤解してもらっては困るけれど、人間関係や仕事上のことで辞めたわけではありません。自分でいうのもヘンだけれど上司にも恵まれ、同僚たちともうまくやってました。仕事もそれなりに面白かったし、やりがいもありました」。それなのに、なぜ―。「どういったらいいのかな。自分に正直になりたかったんです」。なにを青臭いことをいっているんだろう。もちろん、そんなことはおくびにもだしません。恵さんは話の風向きを変えました。「会社を辞めたこと、両親は知っているの」「ええ、事後承諾ですけれど」「なにか言ってた」「別に、なんとも。オヤジはまだ若いんだから好きなようにしたらいいと励ましてくれましたよ。オフクロはちょっと未練がましくいってきましたけどね」。恵さんは最初の会社を退職したときのことに思いを寄せていました。

(次週に続く)

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第三十六話  「自転車屋さんの支店開設でカズヤ君が・・・」   

その日、自転車屋の作業場にひとり、ふたりとやってきました。バリバリのOLサトミさん、東京本社に戻ってきたユウジさん、フミさんの幼友達で税理士夫人のタケコさん。この3人は馴染の顔ですが、あとの人たちは面識がありません。そのなかに、顎に髭をたくわえた「ムーミン」さんがいました。板金、溶接などの金属加工会社を営んでいる職人で、フミさんのところの自転車のパーツはこの人の手によって作られています。話には聞いていましたが、恵さんは初対面。ムーミンというネーミングはフミさんが命名したものです。童顔で丸い顔にぽこんと張り出したお腹は、ムーミンというより性格の穏やかそうなタヌキのイメージです。シンプルで独特なパーツの生みの親ですが、どこにそのセンスが隠されているんでしょう。この人がいなかったら、フミさんのところの自転車はないわけで、なくてはならない存在です。

すでに、作業場は訪問者たちですし詰め状態です。折り畳み式のローテーブルの周りには、各自、自分の居場所をみつけて座っていました。フミさんと肩を寄せて笑顔を振りまいているムーミンさんは、飲んでもいないのに酔ったような顔をしています。目の前に仕出弁当とグラスが置かれ、タケコさんが冷蔵庫から取り出した飲料水などをいそいそと抱えてテーブルに並べると、持参した自家製おでんのはいった大なべをガスコンロに掛けました。まさに「お母さん」といった感じです。

ユウジさんが恵さんに「きょう、なんの集まりなの」と訊ねてきました。「えっ、聞いてないの」「飲み会だっていうのは知ってるよ」。サトミさんが「カズヤ君の退職祝いじゃないの」というと「入社半年足らずで辞めたのに、退職祝いっていうのもへんだろう」。ユウジさんがにこにこしながらこういいました。たしかに、一理ある。「カズヤ君、遅いな」。サトミさんが腕時計に目をやっていると、噂をすればなんとやらで、彼がやってきました。

メンバーの数の多さに面喰っているカズヤ君に、「お前は今日、主役だからな。こっち、ここ。俺とムーミンのあいだ」と手で合図をしました。カズヤ君が窮屈そうに指定席に収まると、どこからとなく「挨拶」という声があがりました。「あらたまって退職挨拶もないだろうが・・・」。ユウジさんがまぜっかえしていると、フミさんが「きょうの宴はカズヤの就職祝いも兼ねています」といってきました。「これから彼がうちで働くことになりました」。次の仕事がみつかるまでアルバイトでもするのでしょう。そう解釈したので驚いた表情をみせる人は誰もいません。彼は学生のときからフミさんのところに顔をみせては作業を手伝っているのでニュースではないのです。ところが、次の一言には驚かせられました。「今度、うちで支店を開設します。彼にその支店を任せることにしました」。ウソ・・・、フミさんのところって、支店を設置するほど繁盛していたかな。それぞれの顔に思惑が交錯します。カズヤ君がすっと立ち上がりました。「ホンネをいえば学生のときから自転車屋さんで働きたかった。自転車の素晴らしさに触れられるだけに、こんな嬉しいことはありません」。支店の場所はフミさんのところからそう遠くはない。「自転車を買え替えるときはぜひ、支店のほうでお願いします。本店の持論を押し付けてくるうるさ型の主と違って支店の責任者はもの静かで、お客さんの側に立ちます」。笑いが洩れる中、カズヤ君の顔がさわやかでした。

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