RSS



  ショートストーリー  【自転車は風に乗って】短編小説 

 

17話 18話 19話 20話

第十七話   『梅雨明け秒読み。自転車での遠出はこれから』  

沖縄、奄美地方では梅雨が明けましたが、関東は7月20日前後。今朝、テレビの天気予報では本日の最高気温は28度で不快指数は80といっていました。これはほぼ全員の人が不快と感じる数値。気象予報士が「きょうも日差しが強く蒸し暑いので水分を小まめに補給して熱中症にはくれぐれも気をつけてください」と警告を発していました。白く雲に覆われてどんよりとした空。雲間からは薄日が差していますが、午後からはところにより雷雨とのこと。この時期は半分、夏に足を踏み入れているという微妙な季節で、知らずしらずのうちに梅雨が明けていたというのも珍しくありません。当初、懸念されていた空梅雨も杞憂におわり、水不足もなんとかクリアできそうです。といっても、なにぶん、自然のことなので、先のことはなんともいえません。

恵さんの部屋の中は楽屋のように雑然としていて、洗濯ものがハンガーにつるされたまま情けなくぶら下がっています。もともと、こまめに掃除をするほうではないので、狭い居住空間は足の踏み場もないほど散らかし放題になっています。晴れ間が続けば部屋の片づけもできるのでしょうが、気まぐれな天気に打つ手がありません。朝、日差しがあってもすぐに雨になったりするので油断ならないのです。

恵さんはまだエアコンを稼働させていません。節電を心掛けているので、エアコンの使用は最小限に抑えたいからです。その代わり、扇風機が大活躍。猫の小太郎は当初、扇風機からの風を遠ざけていたのですが、このところ慣れてきたみたいです。雨を警戒してか、この時期は自転車での移動も少なくなりました。恵さんが自転車の乗るのは雨の降っていないときにスーパーに買い物に出掛けるときぐらいです。レインコートを着てまでもペダルを漕いでみたいという気持ちはないようですね。自転車であるわたしは雨避け防止のシートにくるまったままの玄関先に置かれています。気が向いたときに恵さんがぴっかぴかに磨いてくれるので、とても感謝しているのですが、遠出をしないのでストレスが溜まってきています。

同輩たちも同じ境遇なのでしょう。自転車通勤の姿をあまり見掛けません。雨と自転車とは相性がよくないのでしょう。たしかに、雨の中、傘を差しながら歩道を走るママチャリなどに出会うと、歩行者とぶつかることも多く危ない。事故にも繋がるし、雨が降っているときは自転車での外出を控えたほうがいいかも知れません。自転車は風を切って走り、エコとの対話を楽しむのが本来の姿なので、まあ、夏本番になるまでもう少しの辛抱でしょう。

職場のヨシロウさんだけはマイペースというか、多少の雨など気に掛ける様子もなく、昼になると傘を差して職場から自転車に乗って出掛けています。片手運転は危険だし、なによりも歩行者の迷惑にもなるので自転車は控えたほうがいいと恵さんはヨシロウさんに忠告していますが、「まあ、な」というぐらいでまったく聞く耳をもちません。 (次週に続く)

---------------------------------------------------------------

第十八話   『ヨシロウさんが自転車で転倒』  

「それ、どうしたんですか」。ヨシロウさんの右手、人差し指に包帯が巻かれているのを恵さんは見逃しません。彼は同じ社屋にいる定年を間もなく迎える大先輩です。額にある小さなすりむき傷も気になりました。「ああ、これか」。ヨシロウさんは人差し指をくねくねと動かしながら「転倒した」とだけいいました。おそらくドジを踏んだのでしょう。「気をつけてくださいよ。もう若くはないんですから」。恵さんがこういうとヨシロウさんは恥ずかしそうに「いや、なに、自転車に乗っていたら出会いがしらに向こうからやってきた自転車とぶつかっちゃってさ。先方はまったく平気だったけれど、こっちが転んじゃって。ま、悪いのはこちらなんだけど」といいます。どういうことなのか。恵さんの刺すような視線にヨシロウさんはたじろぎながら「まいったな。じつは・・」といって事情を打ち明けてくれました

概略はこうです。週末、買い物に出掛けるため小雨がぱらつく中を傘をさしながら片手でハンドルを操作し、歩道を走行中、横道から飛び出してきた自転車と衝突。先方はレインコートを着用していて、もちろん、ハンドルを両手でしっかり固定して運転していたので、衝撃にもバランスを崩すことはなかったが、ヨシロウさんのほうはよろめいて転倒してしまった。片手運転、傘さしでは分が悪い。一方的に悪いのはヨシロウさんのほうです。「それがさ。先方はこっちを気遣ってくれて、怪我はありませんかと駆け寄ってきてくれたんだ。悪いのはこっちのほうなのに。いまどき、ああいう人もいるんだよな」。指の痛みが気になるようになったのは自宅に戻ってから。突き指をしたときのような痛みが拡がり徐々に腫れてきた。額に違和感があったので鏡をのぞくと擦り傷ができていて、その傷がちくちくと痛む。とりあえず、応急措置をして、月曜日になるのを待って病院でレントゲンを撮って診てもらったところ、骨折はしていなかった。「たんなる打撲だって。額は転んだときにどこかで擦ったんだろう」「大事に至らなくてよかったですね」。恵さんがしげしげと見つめるものだから、それに耐えられなくなってヨシロウさんがぷいと顔を逸らしました。

自転車の死傷者数は年間およそ16万人。自転車事故は交差点での事故が全体の70%近くを占めている。もっとも多いのが自転車と自転車とが出会い頭で衝突をするケース。ヨシロウさんの接触事故もここに含まれます。もっとも、あまりに軽傷のため、警察に通報しないで水面下で処理をするケースも多いだろうから、実際には死傷者総数をカウントしたら少なくても16万人×10ぐらいの数値にはなるのではないだろうか。ヨシロウさんにしても「警察には届けないよ。そんな大事じゃないからね」とさらりといいます。あまり危機感をもっていないみたいで、この日も雲行きが怪しい中、ヨシロウさんは社用駐車場の一角にある私的、専用駐輪場からママチャリで昼食のためにどこかに出掛けました。恵さんを連れていってくれた蕎麦屋にでも向かうのでしょうか。 (次週に続く)

---------------------------------------------------------------

第十九話   『キムラ先輩が自転車で7キロのダイエット』 

そんなある日、九州在住のキムラ先輩から恵さんに電話がはいりました。「で、どうなのよ、そっちは」。なんのことを指してどうといっているのか。体調のことなのか、それとも仕事のことなのか。具体的なことを先にいわないのでさっぱり分かりません。先輩はいつもこんな話し方をしてきます。恵さんはそんな先輩の意味不明の対応に慣れているので「暑いので、夜も寝苦しいですよ」と応えました。別の特別な用件があって電話をしてきたわけじゃないので、恵さんも適当に、思いついたことを口にしています。恵さんは足元にせわしなく風を送ってくる扇風機の位置を変え、はあっと溜息をついたあと「人間て、ほんとに勝手なものですね。梅雨が明けて夏になればなったらで暑い、あついとまたぼやく。先輩も熱中症に気をつけてこまめに水分補給をしてくださいよ」というと、キムラ先輩は「いや、天気のことじゃなくて、自転車のことだけれどさ」といってきました。そうか、先輩は自転車のことをいいたかったのか。だったら、最初からそういえよ。けれど、恵さんはそのことを口にはだしません。

「自転車がどうしたんですか」。恵さんの口調は穏やかです。「俺、自転車通勤を始めただろう。最初はもの珍しげにみられていたけれど、いまじゃ、知る限りでは10人が通勤に自転車を使っているんだよ」。「えっ、10人も」。キムラ先輩の職場に社員が何人いるのか分かりませんが、比率としてはけっこう高い。「そうなんだよな」。まんざらでもないような話しぶりです。「先輩の貢献大ですね」。恵さんがよいしょして、持ち上げます。「うん、うちはエコロジーにウエイトを置いているからね。東日本大震災以降、社内では節電を徹底するようになって、ついこの前も・・・」と、話がだんだん横道に逸れていくので「職場の人たちはエコだけで自転車通勤をするようになったんですか」と恵さんが流れを戻すと、キムラ先輩はケラケラと笑ってから「そうじゃないな。俺がスリムになってきたのでそれが直接の理由じゃないかな」と言う。なんでも自転車通勤をするようになってから7キロ痩せ、お腹のぜい肉がとれ、顎のあたりもシャープになったそうです。そんな相貌をみて、メタボ予備軍たちが自転車通勤に切り替えたのでしょう。「もっとも、天気が怪しい日はクルマを使うけどさ」。「まあ、当然ですね」。キムラ先輩は思い込んだら周りがみえないところがあります。一途なところが周りに迷惑を掛けていることを当の本人は知りません。恵さんが知り合ったころからそうでした

「そっちはどうなの」といってきたので、「梅雨時期は自転車で外出する機会が少なかったけれど、夏本番を迎え、また、自転車で遠出をするつもりです。なにかあったら連絡しますよ」。そういって電話を切ったあと、恵さんは駐輪違反のことを話すのをはたと忘れていたことに気がつきました。 (次週に続く)

---------------------------------------------------------------

第二十話   『地下鉄ホームで自転車仲間のカズヤ君とバッタリ』  

地下鉄のホームで電車を待っていると、「恵さん」という声がしました。恵なんていう名前はありふれているので、へんに反応すると、とんだ恥を掻くので素知らぬ振りを決め込んでいると、「フミさんのところの自転車」といってきたので反射的に顔を向けると、カズヤ君がひょいと片手をあげてにこにこしながら近寄ってきました。自転車屋のフミさんのところでGパンにだぼだぼのシャツというラフな服装を見慣れているせいか、スーツ姿のカズヤ君には違和感がありました。「似合わないでしょう」。カズヤ君は照れ臭そうにこういうので、恵さんも「ほんと、スーツが浮いちゃっている」とホンネをいいました。「これでも社会人ですからね、仕方ないんですよ。省エネ対策の一環として夏場は服装をラフなものでもいいということになっているんですが、部課長クラスがネクタイ、スーツなので末端のヒラ社員がGパンにTシャツというわけにはいかないんですよ」

カズヤ君の趣味は自転車と釣り。恵さんをサカナのボラに似ているといい、発想が縦横無尽なところに面白味があるのだけれど、スーツという鎧を着ると、その奔放さが霞んでみえてきます。唯々諾々と従わざるを得ないのは、同じ勤め人として恵さんも同じ。彼は彼なりに苦労しているみたいです。「いまからお帰りですか」。フミさんのところで発する、挑発するような口調とはがらりと変わり、上司に接するような態度です。恵さんが「なに、気取っているのよ。こら、いつものカズヤ君らしくないぞ」と笑いながらいうと、「そうっすよね」と嬉しそうな顔をしてネクタイを外しました。天候は晴れ。ビール日和です。「どう、軽く、一杯やってく」と誘うと、こませに飛びつくサカナのように「ガッテン、承知」と迷いもなく乗ってきました。

暖簾をくぐったのは魚料理がメインの居酒屋。恵さんは一度、人に連れられてやってきたことがあります。魚好きには評判の店で、けっこう混んでいました。カウンターしか空いていません。ま、仕方ないでしょう。生ビールがうまいこと。中生をものの一分ぐらいで飲み干してしましました。追加をしたあと、メニューから選んだのは恵さんは好物のシメサバとコハダ酢、カズヤ君がイカの姿焼きとマグロの赤身です。注文したサカナがやってくるまで突出しのらっきょの酢漬けを頬張りながら、恵さんは「カズヤ君て、どこに勤めているんだっけ」と訊ねました。フミさんのところでは顔なじみになっていますが、勤務先は知りません。「えっ、僕、いいませんでしたっけ」。鞄の中から名刺入れを取り出して、そこから抜き出した一枚を恵さんに差し出しました。大手家電メーカーが印字されています。恵さんが「へえっ、こんな大企業に勤めているんだ。知らなかった」というと、「一応、看板だけはね」とそっけなくいいました。所属部署は会社の屋台骨である家電事業部。「ふーん、そうなんだ」と恵さんは頷いています。

カズヤ君は会社の話をしたくなかったのでしょう。「自転車、調子はどうですか」と尋ねてきたので、つい、先日、放置自転車と見做され、撤去されて収容施設に運ばれてしまったと、ことの顛末を口にすると、カズヤ君は本当におかしそうに声をあげて笑いこけています。「ぼくは撤去されたことはないけど、これまでに何度か盗まれましたね」。恵さんにとっては初耳のこと。「じゃあ、戻ってこなかった?」「ですね。ひどいときはフミさんのところから自宅に乗って帰ってきた翌々日に盗まれました。あのときはショックで立ち直れなかったですね。ひどいことをする奴がいるもんだと盗んだほうを恨むよりも、盗難にあった自分が情けなかったですね」。

(次週に続く)

(<

---------------------------------------------------------------

第一話に戻る

コメント

[コメント記入欄はこちら]

コメントはまだありません。
名前:
URL:
コメント:
 

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://blog.shopserve.jp/cgi-bin/tb.pl?bid=100014016&eid=24