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  ショートストーリー  【自転車は風に乗って】短編小説 

 

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第九話   『自転車を購入しなかったワケ』

自転車が縁で恵さんとヨシロウさんとの距離が縮まってきました。社内の喫茶ルームで、テーブルを挟んで二人が向かい合っています。「自転車屋さんに行ったみたいですね。ひとこと言ってくれたらよかったのに」。コーヒーを飲みながら恵さんの言い方がやや詰問調になっていました。「ああ、うん」。言葉少なに頷くヨシロウさん。部下が要領を得ない上司を叱っているみたいな構図ですね。「店主はフミさんというんですけど、なんの音沙汰もないので気にしてましよ」。購入するかどうかは別にして、買う素振りをみせながらフミさんに連絡をいれないは失礼じゃないかと恵さんはいっているわけです。ヨシロウさんが頭を掻きながら「今日中に電話をいれておくよ」と侘びてから、「君の乗っているあの自転車さ、俺には似合わないよ。だって、いまふうの作りだし、それに若い人向きだろう。ちょっとな・・・」。乗るのが恥ずかしというということか。自転車をファッションとして捕えているからそういう見方になるわけで、機能性という視点からみたら、車体は軽いし、とても便利です。「私の乗っている自転車に限っていえば年齢層はあまり関係ないですね」。恵さんはフミさんのところの自転車を楽しんでいるシニア夫婦を何組か知っています。「自転車も好みですから、自分にあうのを選ぶのがベストですよ」。

結局、ヨシロウさんは自転車を購入しないことにしたようです。好みの問題のほかに、恵さんはもうひとつ、別の理由があるような気がしました。フミさんのところの雰囲気に当てられたというか、スタッフではないけれど、若い人たちが遊びにきていて、フレンドリーな感触に違和感のようなものを覚え、加えて、店主の独善的なものいいに引いてしまったのではないでしょうか。ヨシロウさんがはにかんだような顔を恵さんに向けてきました。「あの自転車屋のオヤジ、ちょっと変わっているよな」。

恵さんは先週末、自転車屋さんに立ち寄って、ヨシロウさんが訪れたことを知りました。フミさんが「そう、そう。この前、不思議な人がきたよ」といってニヤニヤしながら「一見さんだったので、ネットか、それとも印刷物をみたのか、誰かの紹介でやってきたのかを聞いたんだけれど、はっきりしたことをいわない」。その代わり、自転車の知識だけは詳しかったといいます。「車体が軽量なので安全性に問題はないか、パーツはどこで作っているのか、素材はなにかとかネチネチと訊ねてくる。俺、しつこいのは苦手だろう。タケを割ったような性格だからさ」。後ろのほうは蛇足ですよ。

フミさんはこれまで新聞、雑誌などに掲載され記事をまとめたスクラップブックを差し出して「細かいことはここに書いてあるから」というと、その人はページをめくり始め、タウン誌に掲載された記事に目をとめ「こいつ、知ってる」と叫んだそうです。ヨシロウさんも最初から恵さんのことをフミさんにいえば話がみえてきたのに、そういうことを省いてしまう。こんなところが誤解されやすい一面なんですね。 (次週に続く)

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第十話 『ママチャリ・ヨシロウさんの謎』 

この際、聞いちゃおうかな。恵さんはヨシロウさんについて前々から気になっていたことがあります。ひとつは、なぜ、自転車に詳しいのか。もうひとつは、どうして駐車場に駐輪しているのか。「ひとつ、いいですか?」。聞こえているのか、いないのか。ヨシロウさんは眠そうな目を恵さんに向けてきました。恵さんが間髪を入れずに訊ねます。「自転車に詳しいようですが・・・」「そうでもないよ」。ここで、引き下がっては答えを引き出せません。踏み込んで質問をしました。「自転車に夢中になっていた時期があったとか、自転車のある環境にいたとか」。すると、ヨシロウさんの表情がにわかに覇気を帯びてきました。

「実家が米屋だったので、子供のころはよく自転車で配達を手伝わされたよ。そのおかげで、知らず、しらずのうちに自転車の知識を身に着けたんだろう」。昔、お米屋さんで使っていた自転車は荷台のついた頑丈で重たい業務用自転車でした。1955年頃に売り出された「威力号」は車体が黒一色だったので「カラス」とも呼ばれていました。「ギャM号」という自転車もありました。「俺たちが小さいころ、自転車は高価なものだったのよ。子供用自転車など買って貰えないので、配達用の自転車を三角乗りで漕いでいたな」。三角乗りとは子供たちが大人の自転車に乗るためにあみだした方法。サドルに座ると足が届かないため、フレームの中に足を入れてペダルを漕ぐ。「そんな乗り方をして遊んでいたので、自転車に興味をもち、詳しくなっていったんだろうな」とヨシロウさんは説明してくれました。「お米屋さんは?」と訊ねると「廃業したのはオヤジが亡くなってからだから、もう三十年になるな」。そういうことだったのか。

さて、次の質問です。「どうして、自転車を会社の駐車場に駐輪しているんですか?」。恵さんにとってこれが最大の謎ですが、ヨシロウさんは、そのことかという表情をしながら、苦笑いを浮かべました。「あの病院、知ってるだろう」。遠方から患者がやってくる専門病院です。「女房があそこ入院してんだよ。着替えなんかをもっていかないといけないだろう。それで昼休み、食事のついでに病院まで自転車で出掛けていくわけだ」。恵さんは何度か紙袋を荷台に括りつけて自転車に乗っているヨシロウさんを見掛けたことがあります。「3年ほど前から入退院を繰り返しているよ。まあ、仕方ないさ」。他人事のようにヨシロウさんはいいます。ヨシロウさんには一男一女の二人の子供がいます。それぞれ独立しているので、現在、夫人と二人暮らし。長男は独身ですが、長女は結婚しています。夕方になると子供が手分けして交代で病院に顔をみせているそうです。

こういうとき、どういう言葉を掛けてやるのが相応しいのだろう。「大変ですね」ではいかにも無粋。「早くよくなるといいですね」といった社交辞令では相手に気持ちが届かないだろう。結局、恵さんは「そうだったんですか」というにとどめて口をつぐみました。「気にしない、気にしない」。ヨシロウさんは笑いを浮かべながらこういいました。 (次週に続く)

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第十一話 『自転車を押しながら蕎麦屋と純喫茶へ』 

「外で食事でもしようか」。ヨシロウさんが恵さんを誘ってきました。ママチャリを押しながらヨシロウさんのあとを付いていく。どこに行くのかはいいません。連れていかれたのは通りの辻から一本奥に入ったところにある蕎麦屋さんでした。こんなところにあったけと思わせるような目立たない店で、暖簾はでているものの、客は疎ら。店は老夫婦だけでやっていて、店内はやや薄暗く清潔感もいまひとつ。なによりも活気がありません。

店主は手を休めて調理場から壁に掛かっているテレビに目を向けています。女将さんがいそいそとお茶を運んできました。客は常連ばかりで気心が知れているようで「俺、いつものやつ」とヨシロウさんは言いました。手垢でよれよれになったメニューを開くと真っ先に書いてあるのが「そばセット」。それに続いて単品が並んでいます。「この、セットはなんですか」。恵さんが訊ねると女将さんはにこりともしないで「かけそばか、もりそばにごはんとおしんこがつくの。きょうは五目ごはん。日替わりでカレーのときもあれば、親子丼の日もある。ええ、ごはんはお茶碗一杯ぐらいで少ない」。恵さんはセットメニューを注文しました。ヨシロウさんの定番はもりそばです。おぼんに乗って運ばれてきたものをみて、恵さんは驚きました。量はちっとも少な目ではなかったのです。しかも、そばはふやけていて、汁はかなり濃く、五目ごはんも水加減を誤ったかと思うほどべちゃべちゃしていました。ヨシロウさんは一言も喋らず、黙々とそばを食べます。話す糸口をつかめないまま恵さんは急いでセットメニューをたいらげます。店を出るとヨシロウさんが満足げにいいました。「どうだ、けっこう、うまかっただろう」。どう答えていいのか分かりません。おいしくなかったとはいえないので、恵さんは「ええ、まあ」と当たり障りのない言い方をしました。

蕎麦屋さんをあとにすると、ヨシロウさんは腕時計に目をやり「ちょっと、お茶でも飲んでいくか」と、今度は喫茶店への誘いが掛かりました。はい、はい、スタバでもドトールでもどちらでもいいですよ。自転車を押しながら連れていかれたのはいまどき珍しい純喫茶。自転車を店頭の植え込みに駐輪したので「いいんですか、こんなところにとめて」というと「大丈夫」とさして気に止めるふうではありません。ここも常連で固められているのでしょう。白髪のマスターが客と話し込んでいます。娘さんでしょうか、マスターと顔立ちの似ている女性が愛想ひとついうわけでもなく、気だるそうにメニューを差し出してきました。「俺、いつものやつ」。ヨシロウさんはここでも定番のものがあるらしい。「なんですか、それ」と訊ねると「ああ、ホットコーヒーだよ」というので、恵さんも同じものにしましたが、コーヒーはぬるく、粉っぽかったのでアイスコーヒーにしておけばよかったと悔やみました。ヨシロウさんは「ここのコーヒー、けっこううまいだろう。味が濃いし、香りもいいよな。たまにくるけど気に入ってるんだ」と楽しそうにいいます。 (次週に続く)

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第十二話 『垣根を取り払った自転車』 

ヨシロウさんはコーヒーを飲みながら、新聞に目を通しています。恵さんは脳裏にあることが点滅しました。ママチャリを会社の駐車場に駐輪していることです。「自転車ですけど、入院している奥さんの看病のために使用していると会社に申し出れば、特例として駐輪が認められるんじゃないですか」。恵さんはいってから、また、余計なことを喋ってしまったと軽い自己嫌悪に陥りました。一瞬、空気がぴたりと止まったかのような沈黙がやってきましたが、それを追い払ったのはヨシロウさんでした。「マスター、煙草ある」。えっ、煙草を吸うんだ。初めて知りました。「会社や自宅では吸わないけどね。ここにきたときには一服している」。ヨシロウさんはニヤリとして悪戯小僧のような顔をみせました。煙草は店にキープしてあり、マスターが棚からはハイライトと使い捨てライターをもってきます。

「煙草を携帯していると、つい、吸ってしまうだろう。やめようとはしているんだけど、これがなかなか・・・」。ヨシロウさんはうまそうに紫煙を吐きながら「駐輪の件だけれど、本社では知ってるのがいるよ」。

恵さんとヨシロウさんの勤務先は本社からそう遠くないところにある支社。社員のあいだでは分室と呼ばれています。「誰ですか、知っている人って?」「君はヒラトリのタナカを知ってるよな」。総務統括部長で取締役のタナカさんのことです。社内人事にやたら詳しく、根回しが大好きで押しも強い。恵さんのもっとも苦手とするタイプです。顎に顔の埋まったでっぷりと太っているタナカ総務のテカテカと脂ぎった顔が浮かびました。恵さんが人事部に在籍していたときの直属の上司で「俺は全社員の顔を覚えている。誰がどの学校を出たのかまでそらんじている」というのが自慢のひとつでした。会社組織の中で出世していくのは人望や人柄だけではないんですね。「あいつ、俺の同期なんだ。出世頭だよ」。そうだったのか。知らなかった。「彼には知らせてあるよ。女房のことも含めてな」「だったら問題ないじゃないですか」と恵さんがいうと、ヨシロウさんはきょとんとした顔をしました。「別に駐輪していることは問題になってないだろう」。

たしかに、そういわれてみたらそうです。警備のほうだけが神経を尖らせているだけに過ぎません。「警備がごちゃごちゃいってくるだけで、会社からは俺のほうに何も言ってこないよ」。割り勘でコーヒー代を払って路上にでると、ママチャリの前輪がひねくれたように曲がっていて「遅かったじゃないの」と不満をたれているようにもみえました。「俺、これから病院に行くのでちょっと遅れるから」。ヨシロウさんは自転車にまたがり、思い出したようにいってきました。「女房のこと、別に隠しているわけじゃないけど、みんなには黙っておいてくれないかな」。恵さんは両腕を掲げて丸をつくり「了解」のサインを出します。「そんじゃ、ひとっぱしり行ってくる」。もちろん、奥さんが入院していることは誰にもいっていません。人見知りの激しいヨシロウさんと言葉を交わすことができるようになったのを恵さんは嬉しく感じていました。二人の垣根を取り払ったのは自転車です。 (次週に続く)

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